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2018年7月25日水曜日

一人一言204

「#MeToo」はある意味、女権推進運動。

2018年7月19日木曜日

参院選挙制度改革 6増成立 自公強行 野党は内閣不信任案提出へ

参院定数を「6増」する改正公職選挙法は18日の衆院本会議で、自民、公明両党の賛成多数で可決、成立した。野党は定数増に反発したが、与党は採決を強行した。与党はカジノを含む統合型リゾート(IR)実施法案についても19日の参院内閣委員会、20日の参院本会議で採決する構え。反発を強める野党は19日にも内閣不信任決議案を衆院に提出する調整に入った。(3面にクローズアップ)

参院の総定数は242から248に増え、来年夏の参院選から適用される。参院で定数が増えるのは、沖縄の本土復帰に伴い定数が2増した1970年の法改正以降では初めて。埼玉選挙区の定数を2増、比例の定数も4増し、あらかじめ当選順位を付けられる拘束名簿式の「特定枠」を導入する。自民党は特定枠を合区選挙区での立候補に漏れた候補者の救済に利用する意向だ。

総務省が発表した1月1日時点での住民基本台帳の人口に基づき試算すると、法改正により1票の格差は最大で宮城県と福井県の間の2・949倍となる。

改正公選法の採決では、与党が賛成し、立憲民主、国民民主、共産、日本維新の会など野党各党が反対した。自民党の船田元(はじめ)元経済企画庁長官は採決前に退席し棄権した。

自民党の橋本岳氏は衆院本会議の賛成討論で「自民党の党利党略との指摘は当たらない。1票の格差の縮減、多様な民意の反映という二つの命題を両立させ最良の案だ」と理解を求めた。

これに対し、立憲の辻元清美国対委員長は記者団に「言語道断。自分たちが有利になる選挙制度を強行するのは自民党の横暴ここに極まれりだ」と批判した。国民の玉木雄一郎共同代表も「自民党のための法案だ」と訴えた。

一方、IR実施法案を巡っては、参院本会議で国民など野党が提出した石井啓一国土交通相の問責決議案、参院内閣委員会の柘植芳文委員長の解任決議案がそれぞれ賛成少数で否決された。

https://mainichi.jp/articles/20180719/ddm/001/010/234000c


定数削減より女権ですか....(呆れ)。


2018年7月10日火曜日

西日本豪雨死者130人、行方不明74人 救出阻む暑さ

西日本を襲った豪雨の被害者は10日もさらに増え、13府県で死者は130人、心肺停止は3人、行方不明や連絡が取れない人は74人に上った。梅雨明けした被災地は各地で真夏日になった。大量の泥も消防や自衛隊による救出活動を困難にしている。広い範囲で断水や停電も続き、復旧の緒にもつけない状態が続いている。

広島県では新たに4人の死亡が判明し、朝日新聞のまとめでは、台風7号が九州に接近した3日以降、10日午前10時時点の府県別の死者は、広島50人、岡山36人、愛媛25人など。行方不明者は広島48人、岡山20人など少なくとも計74人。
 
被災地は広く高気圧に覆われて晴れ、午前中から30度前後まで上昇。午前10時時点で、広島県福山市で30・3度、岡山県笠岡市で30・5度、愛媛県西予市で31・1度を記録した。

厚生労働省の10日午前5時時点のまとめによると、水道管の破損や浄水場の冠水で、広島県呉市で約9万3千戸、岡山県倉敷市で約1万戸、愛媛県大洲市で約1万7千戸など、計約27万戸で断水が続いている。

停電は解消に向かっているが、中国電力と四国電力によると、10日午前の時点で、広島市や広島県三原市、高知県安芸市など計約3200戸で停電している。

https://www.asahi.com/articles/ASL7B3479L7BPTIL004.html?iref=comtop_8_04

ひとたまりもないな。
この災害、伊勢湾台風に彷彿とされるな。

でもこれ↓も忘れるな

水田のみ込む 北海道各地で大雨被害

北海道内は、2日から3日にかけての大雨で、上川や空知地方では河川が氾濫し、水田や畑が浸水するなどの被害が各地で発生した。JAや農業改良普及センターなどは、被害状況を確認中だが、一昨年に相次いで上陸した台風被害と同じかそれ以上になると懸念する地域も出ている。

上川地方の旭川市では2日午前9時から3日午後4時までに約144・5ミリの豪雨が襲った。JAあさひかわは同日、対策本部を立ち上げ、現地に出向き情報収集に当たった。

被害の詳細は取りまとめ中だが、水田やハウス、ソバ、長ネギ、黒大豆などの圃場(ほじょう)の浸水の他、土砂の流入も数件発生している。交通規制により現場に行けない場所もあり、JAは「今年の収穫に影響するのでは」と心配する。JAでは調査を急いでいるが「2016年の台風より被害面積が大きいのではないか」と予測する。

空知地方JAきたそらちでは、大雨により管内の石狩川や雨竜川が氾濫。JAは調査に当たっており、被害状況を取りまとめ中だが、深川市を中心に水田が水に浸かるなどの被害が出ている。

https://www.agrinews.co.jp/p44523.html

経済的打撃が大きいなこの災害。


これらの災害で亡くなられた方のご冥福を心からお祈りします。

2018年7月9日月曜日

どこからか忘れたが、こんなブログがあった。

男性差別とたたかう者のブログ

http://mzkisaragigid.seesaa.net/

女権国家日本国の実態のブログですね。
頑張ってね

2018年7月7日土曜日

オウム松本死刑囚ら執行 異例...幹部7人同時に

法務省は6日、地下鉄サリン事件などで死刑が確定していた、オウム真理教の教祖・麻原彰晃こと、松本 智津夫死刑囚ら7人の死刑を執行した。

死刑が執行されたのは、オウム真理教事件の13人の死刑囚のうち7人で、教祖の麻原彰晃こと、松本 智津夫死刑囚、サリンの製造役だった中川智正死刑囚、土谷正実死刑囚、遠藤誠一死刑囚、地下鉄サリン事件で、総合調整役とされた井上嘉浩死刑囚、教団が起こした殺人事件全てに関与した新実智光死刑囚、坂本弁護士一家殺害事件などに関わった早川 紀代秀死刑囚。

教祖の松本死刑囚は、13人が死亡し、6,300人以上が負傷した地下鉄サリン事件や坂本弁護士一家殺害事件など、13の事件の首謀者として、殺人などの罪に問われ、死刑が確定していた。

地下鉄サリン事件で夫を亡くした、高橋 シズヱさんは、「その時が来たなという、それだけしか思いはありません」と話した。

一方、上川法相は、「慎重な検討を重ねたうえで執行した」と述べた。

上川法相は、「鏡を磨いて磨いて磨いて磨き切るという気持ちで判断した」と述べた。

松本死刑囚の遺体を誰が引き取るのかは、明らかになっていない。

https://www.fnn.jp/posts/00395864CX


その行動は、もうすぐ平成が終わるという前提の区切りのためとしか思わない。

それはそれとして。
オウム真理教ようなカルト教団は、普通なら最後に集団自殺するはずなのに、テロ行為に走ったってことは、日本は無宗教国家であると同時に女権化政策の成果の一つではないかと思う。

その出来事は、オウム真理教よりカルト度が高い幸福の科学かつその支持団体である幸福実現党にとっては、大きな朗報だな。

おまけとして、オウム真理教による地下鉄サリン事件を風化しないためにもの死刑囚の紹介をする。
後継団体の一つである「Aleph」はいまだに麻原崇拝していたからな(もう一つの後継団体である「ひかりの輪」は反麻原で、脱会活動している)。
しかも、私の地元でもある札幌には最大の施設があるからな。
これ↓を見てほしい。

オウム真理教 死刑執行された7人 裁判で判明した“恐るべき役割”とは

7月6日死刑が執行されたのは、オウム真理教の教祖、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚ら7人。

裁判で明らかになった、それぞれが果たした役割はなんだったのか。

松本智津夫死刑囚

松本死刑囚は1984年、「オウム神仙の会」代表として宗教活動を始めた。
その後オウム真理教へと名前を変えて信者を増やしていくと、1990年の衆議院選挙に幹部らと共に立候補したが、全員落選。

1994年 6月松本サリン事件を起こして住民8人を殺害し、1995年3月には、死者13人、6300人以上が負傷する地下鉄サリン事件を起こした。
このほかにも坂本弁護士一家殺害事件など、あわせて13の事件でいずれも犯行を首謀したとして殺人などの罪に問われ、2006年9月に最高裁で死刑が確定した。

松本死刑囚は、2004年の一審判決以降、公の場に姿を見せていない。


井上嘉浩死刑囚

1969年、京都市に生まれた井上嘉浩死刑囚は、高校時代に教団の前身「オウム神仙の会」に入信。
松本智津夫死刑囚の寵愛を受け、25歳の若さで教団幹部の地位に上りつめた。

松本死刑囚から、釈迦を守るため最後まで行動をともにした伝説の聖者「アーナンダ」のホーリーネームを授けられた。

教団内では、裏の実行部隊「諜報省」のトップを務め、盗聴、誘拐、襲撃など、オウム真理教のダーティな部分を担ってきた。
地下鉄サリン事件では、サリンをまく実行部隊をとりまとめる役割を果たしたとされる。

96年3月。初公判前、井上死刑囚はオウム真理教を脱会した。
一審では無期懲役の判決を受けたが、その後、二審で「総合調整といえる重要な役割」と指摘され、逆転の死刑判決を受けた。井上死刑囚は上告したが、最高裁が棄却し、2010年に死刑が確定した。


早川紀代秀死刑囚

早川紀代秀死刑囚は、大阪出身で神戸大学農学部、大阪府立大学大学院を経て大手ゼネコンに就職し、その後、オウム真理教の前身「オウム神仙の会」に入信。

新実智光死刑囚とともに、常に松本智津夫死刑囚の両脇を固めていた。

山梨県上九一色村(当時)のサティアンと呼ばれる教団施設の建設など国内の勢力拡大や海外進出、そして武装化の中心的役割を果たした。教団の「陰の司令塔」などと呼ばれた早川死刑囚。

ロシアに頻繁に訪れ、機関銃などの武器を日本に持ち込もうとしていた。 坂本弁護士一家殺害事件などあわせて7つの事件で殺人などの罪に問われ、死刑が確定した。


新実智光死刑囚

新実智光死刑囚は、1986年にオウム真理教に入信・出家した古参の幹部で、オウムが国の組織に似せて作った省庁制が始まってからは「自治省大臣」を務めた。

地下鉄サリン事件ではサリンをまく実行犯を現場に送る送迎役を果たし、松本サリン事件では噴霧現場で周囲を警戒する役目をになった。

坂本弁護士事件では一家3人を殺害。
新実死刑囚は幼い龍彦ちゃんの首に手をかけたとされている。
検察側は、裁判で、新実死刑囚の役割について「最も血なまぐさい役割」と指摘した。

教団が起こした7件の殺人事件全てに関与したと裁判で認定された。


土谷正実死刑囚

土谷正実死刑囚は、筑波大学で有機化学を専攻し、1989年に教団に入信した。
教団が先鋭化していく中で、化学兵器の製造で中心的な役割を果たした。

当時、山梨県旧上九一色村にあった教団施設には、土谷死刑囚の教団名(クシティガルバ)を冠したプレハブ小屋が作られ、土谷死刑囚はこの中でサリンやVXなど殺人に使われた化学薬品を次々に生成していった。

松本智津夫死刑囚への強い忠誠心をみせた土谷死刑囚は、法廷でも化学の専門知識を誇示するような発言を繰り返した。
一方、検察側は「松本死刑囚の期待に応えて積極的にサリンを生成しており、悪魔に魂を売り渡した殺人化学者そのもの」だと糾弾して死刑を求刑。

死刑判決を受けた2004年の一審判決以降、一度も公の場に姿を見せず、最高裁で死刑が確定した。


中川智正死刑囚

中川智正死刑囚は、岡山県出身で京都府立医科大学卒業後、研修医として病院に勤務。
1989年に病院を退職し、オウム真理教に出家した。

教団では「オウム真理教附属医院」の顧問のほか、松本智津夫死刑囚の主治医として、教団幹部へとのぼりつめた。

出家して、わずか2か月後に関与した坂本弁護士一家殺害事件では、龍彦ちゃんの口を押さえた。
猛毒サリンの製造にも積極的に関わった。

坂本弁護士一家殺害事件に加え、松本サリン事件、地下鉄サリン事件など11の事件で死刑判決を受けた。


遠藤誠一死刑囚

北海道出身の遠藤誠一死刑囚は、京都大学大学院医学研究科博士課程でウイルス学、遺伝子工学を学んだ。
オウム真理教に入信後は、オウムの「厚生省」と呼ばれた組織のトップを務め、ボツリヌス菌や炭そ菌など生物兵器となる細菌の培養、LSDや覚せい剤など違法薬物の製造にあたっていた。

そして、1995年、松本死刑囚の指示を受けた遠藤死刑囚は、地下鉄にまくサリンを土谷正実死刑囚らと共に製造した。

松本智津夫死刑囚の著書では「聖者ジーヴァカ正悟師」と紹介されていた。
猛毒のサリンを製造するなど4つの事件で死刑判決を受けた。

https://www.fnn.jp/posts/00333530HDK